それがぼくらのアドレセンス
間がしばらく空いてしまった。
先日、第10回ハヤカワSFコンテストの締切が終わった。3月31日のことである。
ハヤカワSFコンテストは個人的に追っていた時代もあるし、無謀ながら応募をしたこともある、思い出深いコンテストである。
このコンテストは小川哲、草野原々、樋口恭介など綺羅星の如き新人たちを輩出している。
web小説を見ていると、時折コンテストの応募作を発見することがある。箸にも棒にも掛からなかった作品、残念ながら一歩及ばずだった作品など事情は様々だろう。「それがぼくらのアドレセンス」もそのひとつである。
S‐Fマガジンの選評で読んだ「それがぼくらのアドレセンス」。当時の印象はあまりよくなかったことを覚えている。ラストが悪いだの、SFの根本的な考え方がわかっていないだの、様々な批判がそこでは述べられていた。*1
「ああ、このパターンはよくあるやつ」と私はS-Fマガジンを閉じた。遠い世界の話だ。この作品には出会うことはないだろう。そんなふうに思っていたのだ。
そのころ、TwitterでハヤカワSFコンテストを検索してみたとき、夏になっても浮かれている人々、つまりは最終候補に残れた者たちなのだが、彼らはどんな顔をしているだろうか。毎年のことながら、ハヤカワSFコンテストに残る人というのは強烈な顔ぶれが多く、人間博覧会と私なんかは思っているフシがある。なのでどんな人間が残ったのか興味はあった。
酒田青の第一印象は小さい鼠だった。*2
並居る強豪(?)作家のなかのあいだから酒田青はちょろちょろと出てきた。なんか方向性が違う新人が出てきた(!)のだ。
話をもとの軌道に戻す。
そうして本を閉じられ、忘れ去られるはずだった「それがぼくらのアドレセンス」がカクヨムに掲載された。いや、ネット上に姿を現した。
早速読み始めた。
克明な心理描写、残酷な展開、キャラ造形、驚くべきストーリーなど面白い点を上げればキリがない。レベル……と唸ってしまう。SFにもしも中高生向けのレーベルがあったら活字で読めたかも、と空想をしてしまうほどである。
あまりベタ褒めしても仕方ない。
春が始まり、終わって、また夏が来る。
夏が来たら、ハヤカワSFコンテストどうなっているだろうな?